自分が殺人犯ではない事を知った俺は、急に生気が立ち昇ってくるのを感じていた。
さっきまで自分が殺人者だと思っていた。
こんなにも違ってくるものなのか!?
つくづく現金なもんだな、俺ってヤツは……。
思わず自嘲の薄笑いが込み上げてきた。
そうか、昨夜聞いたサイレンは、春岡が発見されたときのものか。
真実が明らかになれば、俺もきっと罪に問われるだろう。
しかし、俺は殺していない。
そのとき、俺はハッとした。
真犯人が居る事を俺は知っているが、警察はちゃんと調べてくれるのだろうか。
そう考えると、このまま警察に捕まるのが急に怖くなった。
あの後。
誰が春岡を殺したのだろう。
多分犯人は、社内の人間だ。
俺が横たえた春岡を発見して、その後どんなやり取りがあったのか分からないが、奴を撲殺した人間が居る。
しかし残念ながら、ちょっと考えただけでも動機のありそうな人は、片手では足りないほど居るのが現状だ。
警察も混乱するはず……。
知りたい。
俺は意を決して顔を洗い、ヒゲを剃ってシャツを着替えた。
このままでは俺が殺人犯にされてしまうかも知れない。
冗談じゃない!
この手で、真犯人をつきとめたい。
俺はそう決めて、色を取り戻した部屋を後にした。
俺は、いつもの通勤ルートを歩きながら考えていた。
犯人が倉庫で春岡を見つけたのは、間違いなく偶然だ。
昨日は日曜日、出社している人間も限られているハズだ。
しかし、俺の会社は基本残業はサービス残業だ……。
無論休日出勤しても、休日手当てなど一切支給されない。
ホント、不景気って奴は困ったモンだよ。
タイムカードも、日曜日は機能していない。
だから、出社している人間を割り出すには、目撃証言をイチイチ取るしか無い訳だ。
マズイ、俺は事務員と会っている。
このまま会社へ行くのは止めた方が良くないか?
しかし、他の人間の証言も聞きたい。
少し考えて、俺は事務所へ電話することにした。
TRRR……TRRR……ガチャ
「お世話になっております、春岡フード営業二課でございます」
事務員の原だ。
「お、お疲れさん、川崎だけども」
すると原は、急に声を落として話し出した。
「川崎さん!もう、今会社大変なんですよ……!」
「……ん、ニュース見たよ」
俺は、実は自分もこの件に噛んでいることなどおくびにも出さずに、さらっと言ってのけた。
まあ、これでも営業の端くれですから……ははは。
心の中で俺は、自嘲気味につぶやいた。
すると、原は今の会社の状況を詳しく教えてくれた。
「朝私が出社した時には既に、倉庫には黄色いテープが張り巡らされてて、今は全然仕事になりません。
私も先ほど警察の人に呼ばれて、昨日の事を色々聞きたいから、会社に居るように言われたところです」
そりゃそうだ。
でも、それは俺も聞きたい事なんだよねー……。
何とか昨日のこと、聞き出せないかな。
俺がそう思っていると、原はこんな事を言い出した。
「そういえば昨日は高橋さんにお逢いになりました?」
「ん?……ああ、逢ったけど……」
すると、少し間を開けて原は続けた。
「私……、高橋さんが犯人じゃないかと思ってるんです」
俺は少し驚いた。
高橋は品行方正を絵に描いたような男だ。
とても、今回のような凄惨な殺人事件の犯人とは結びつかない……。
しかし、彼女は続けた。
「実は、私たち帰る途中で、高橋さんとすれ違ったんです。なんだか酷く慌てたような感じで、全然気付いてくれなかったんですよね……」
「そっか……、そんな事が……」
そして、彼女は言った。
「川崎さんはご存知でしたよね?あの……私たちが……」
「ん?ああ、煙草吸ってる事だろ?」
「はい。」
近年女性の喫煙者は多い。
しかし、特に歴史の古い会社にありがちだが、女性が喫煙する事にいい顔をしない職場も多い。
例えばウチの非常階段のような喫煙所を使わずに、独自の喫煙所を持っている事が多い。
我が社にも、女性専用の喫煙所があるのだ。
俺はあんまり気にしないけどね。
しかしその存在を知っている社員は、実のところ少ない。
俺のような、割合軽めで女子社員と普段から仲がいいようなヤツでないと、彼女達は決して教えてはくれないのだ。
原は続けた。
「実は私たち、喫煙所で煙草吸って帰ったんです。二人で一本づつ吸って、会社を出たのが3時頃でした」
3時……丁度俺が川崎を突き飛ばした時間だ……。
「そして、公園付近で高橋さんが会社の方へ向かって走って行ったのを見たんです」
会社のすぐ近くには、ささやかな公園がある。
ちょっとしたベンチと滑り台や砂場位しかないが、海が見えて気持ちが良い所だ。
「へぇ……」
「3時10分頃だと思います」
という事は、俺が丁度春岡を移動して、会社を出た頃だ。
……そうか。
そのまま会社に行けば、倉庫に横たわる春岡を……見つけるはずだ。
……ありえる。
俺が考え込んでいると、原はまだ終わりではないと話を続けた。
「それで、実はその後でもう一度逢ってるんです」
何だって?
「ちょっと話が盛り上がっちゃって、そのまま少し話し込んじゃったんですよ。そしたら、また高橋さんがやってきたんです」
「何時?!」
俺は少し食いつき気味に聞いた。
すると彼女はちょっと驚きつつ、こう答えた。
「ええと……、3時25分です」
「やけに正確だね」
「だって、公園には時計があるじゃないですか」
原は、少し誇らしげにそう言った。
でかしたぞ、原!
俺は心の中で叫んだ。
整理をしないとな……。
俺は少し考える時間が欲しくなった。
そうだ、高橋は出社してるのだろうか?
受話器の向こうの原に聞いてみた。
「あ、そういえば高橋はまだ?」
「彼は今日お休みなんです……」
「エッ?病気?」
「いえ、以前から休暇届が出ていた分なんで、違うと思います」
そうか……、高橋に直接聞いてみようかと思ったんだけどな。
このまま会社に行っても仕方がないし……。
よし、一度昨日の花屋へ行ってみよう。
花屋の店員が何か聞いてるかも知れないし、何か気が付いた事があるかも知れない。
よし、少し公園で整理してから、モールへ行ってみよう。
俺は、取引先に直行すると原に伝え、電話を切った。
無論打ち合わせなど無い。
自販機で珈琲を買って、俺は考えをまとめるために公園へ向かった。
公園に入ると、朝の日差しと潮風に迎えられた。
入り口からすぐのベンチに座って缶を開けた。
潮風で錆びたパイプと使い込んだ艶のある木の板。
子供の頃に遊んだ公園にもあった様な、どこか懐かしいベンチだ。
珈琲を一口すすると、鼻に抜ける香が寝不足の頭を鼓舞してくれる様だった。
俺が春岡を突き飛ばしたのは3時頃。
倉庫に移動して会社を出るのに、約10分ほどだった。
その後、死体が警備員に見つかったのが夜の10時過ぎ。
犯行時間は、俺が春岡を倉庫に運んだ頃から数時間といったところだろうか。
しかし、幾ら意識が無い人間だからといって、あんなに寒いところで何時間も寝ていられるだろうか……?
寒さで目が覚めそうだ。
せいぜい30分前後といったところか?
という事は、犯行予想時刻は3時10分から3時40分程となる。
もし、犯人なら……。
俺と同じように、アリバイ作りをしようとしないだろうか?
そうだ、そうだとしたら、この辺で一番考えられるのは……。
ショッピングモールだ!
港町であまり大きな店など無く、殆どが企業の倉庫や工場で占められるこの町は、休日にアリバイを作るのにとても不便だ。
となると、もうここしか無いと言っても過言では無いだろう。
そう考えると……原の言う通り、高橋は限りなく怪しかった。
何の用事があったのか分からないが、通りかかった倉庫の扉が開いていれば、従業員なら気になるはずだ……。
中に入れば、春岡を発見する事もあるだろう。
何てったってパレットの横に置いただけだったしな。
そして……、すぐ横に積まれたビンケースの中から一本取り出し……。
そうだ。
高橋は確か、一ヶ月前に春岡に手柄を横取りされている。
あれはなかなか良く出来た改善提案だったな……。
新婚のアイツが、何日も残業を繰り返して仕上げた提案書だという事を俺は知っている。
それだけ、情熱をもって打ち込んでいた。
春岡を殺した後、きっとそのまま急いでショッピングモールへ行ったのだろう。
そういえば昨日会った高橋は、酷く驚いた表情をしていた。
何やらキョロキョロと落ち着かなく、息を切らせて店へ走りこんでいた。
俺は、考えれば考える程、犯人は高橋以外には居ないように思えてきた。
一刻も早くモールの花屋へ行って話を聞きたい。
モールは会社から徒歩で約10分、すぐに着く。
時計を見ると、午前10時を過ぎたところだった。
もう開店してるな……。
俺は握り締めていた珈琲を一気に飲み干し、缶をゴミ箱へ勢い良く投げ入れて歩き始めた。
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