食欲など全くないが、俺はレストランが立ち並ぶゾーンへ移動する事にした。
人込みの中、俺だけが色を亡くして歩いている感覚に襲われた。
あても無く歩き続けて行くと、次第に色々な料理の匂いが混じった、一種独特な空気に変わって行った。
明るく照らされたショーウインドウには、テカテカのサンプルが並んでいる。
サンプルのクリームソーダを見て、自分が酷く喉が渇いている事に気が付いた。
入る店は何処でも良かった。
兎に角何か飲みたい……!
俺は、入って2〜3軒目の広めで明るい店内のファミリーレストランへ歩を進めた。
時間的に少し早いが、これ以上徘徊するのも正直限界だった。
中に入った俺は廻りを見渡し、入り口近くの壁際の席に座った。
客のまばらな店内は少し寒かった。
素早く水を持ったウエイトレスがやってきて、メニューを置く。
俺はメニューには目もくれずに、水を一気に流し込んだ。
ふうっ……。
ひと心地つく。
興味のないメニューを開きながら、自分の早鐘のような心臓の音が耳障りで、思わず少し眉をひそめた。
何か頼まなければいけない。
そんなに量はなくていい。
いや、むしろ少ない方が有難い。
早く食べて、家に帰りたい。
俺はナポリタンを頼みサッサと詰め込んで、店を後にした。
味はしなかった。
俺は家に帰ると、床に鞄を投げ捨てた。
よろける様にソファに崩れこみ、そして、頭を抱えた。
ショッピングモールを出た後、俺はいつもの様に電車で帰宅した。
様々な人間で街は混んでいた。
大きな声で笑っている若者たち。
そっと手を繋いで歩く男女。
買い物帰りの女たち。
家族サービスに疲れた父親と楽しそうな妻と子供――
その全てが、俺を見ている気がした。
――あの男は、殺人者だ。
だれか、警察を呼んで!
ほら、あそこに居る!
あんな奴は死刑にしてしまえ!
そうだ、死刑だ。
人を殺したんだから、死刑だ。
俺は――――
殺人を、
犯してしまった。
頭に浮かんだその言葉に、体が反応した。
胃の奥からうねるような吐き気が湧き起こり、俺は慌ててトイレへ走った。
ウエッ
オェッ――――!
全く消化してないナポリタンを戻した俺は、自分が犯した取り返しの付かない事の大きさに、再び全身が震えるのを抑えられなかった。
背中は冷水を浴びせられたような感覚に支配され、視界がキューっと狭くなっていく様に感じた。
崩れ落ちる春岡が、何度も何度も頭の中で再生される。
背景の海の美しさが、嘘のようだ。
光の海の中で力を失った男が、体の統制を失い強く非常階段に倒れ落ちた。
だらりと腕を投げ出し、足は片方だけが折りたたまれた状態で……!
俺はいつの間にか、必死にその時の状況を思い返していた。
頭を振る。
非常階段から倉庫まで、春岡は兎に角重かった。
しかし、その事に頓着している余裕は無かった。
必死に冷蔵倉庫へ移動して横たえる。
ゴツ。
そっと置いたつもりだったのに、コンクリートの床に頭が当たる音がした。
ゴツ。
そう、ゴツ。
ゴツ、ゴツ、ゴツ、ゴツ
一度しか聞いていないその鈍い音が、繰り返し頭に響き渡る。
再びせり上がる吐き気。
「オ、オェェェ……」
二度目はあまり出ない。
うねる胃の痛みも、一向に引く様子は無かった。
俺は春岡が嫌いだった。
今でも嫌いだ。
奴は死んでからも俺を苦しめるなど、思いもしなかった。
不意に響くサイレン。
思わず飛び上がる。
俺はなぜわざわざ死体を隠しに行ったんだ?!
計画的ではないにしろ、なぜ咄嗟に隠ぺい工作をしてしまったんだ?!
わざわざ罪の上塗りを……!
自分の馬鹿さ加減に、頭の芯が痺れた。
捕まる、捕まる、捕まる、捕まる、捕まる。
きっと、死刑か、死刑だ、俺は、死ぬんだ、死ぬのか、死にたく、ない……。
この部屋に帰るのは今日が最後かも知れない……。
「陽子ォ……」
俺は、別れたはずの女の名前をなぜか呟いた。
一人で毛布に包まり、地獄の一夜が明けた。
薄ら明るくなってきた部屋で、俺は全く眠れぬ朝を迎えた。
目を瞑ると、春岡の半開きの目や口がパッと甦り、その度に俺はざわざわとした罪悪感と後悔の波に飲まれていた。
結局、警察は家に踏み込んでは来なかった。
俺は一晩中、開きもしない玄関のドアを睨みながら座っていた。
俺の心はまだ揺れていた。
自首しようか。
それとも。
どちらかと言えば、後者を選択したがっている自分に、内心呆れた。
それとも、逃亡しようか。
俺は、鉛の様な体を引きずって、おもむろにテレビをつけた。
そろそろ朝のニュースが始まる。
春岡の死体は、もう、見つかったのだろうか……?!
全国版の番組が始まり、暫く眺めていると、地方局に切り替わった。
「ニュースです」
俺は大きく唾を飲んだ。
「昨夜10時過ぎ、○○区春岡フードの倉庫で、春岡雅司さん(35才)が何者かに殺害されているのを、警備員が発見しました」
「!!!!」
俺の心臓はギュっと音を立てて跳ね、血がサーっと引く感覚が全身を支配した。
「調べによると、昨夜10時過ぎ、警備員が倉庫の扉が開いているのを発見。中には春岡さんが倒れていた模様です」
ああ、そういえば、扉を俺は閉めてでたか?
いや、記憶にない。
もしかしたら、少し開いていたかもしれない……。
無論、鍵も掛けて来なかった。
必死でアリバイ工作をしたのに、俺は全然完璧に出来てはいなかった!
何て間抜けな話だ……。
死亡推定時刻の幅を広げようと思っていたのに、10時過ぎには見つかってしまった……!
手足の震えが止まらない。
何てこった、早すぎる―――!
俺は絶望にも似た焦燥感を感じつつ、続きを見ていた。
「春岡さんは、頭を何度も強く殴打された痕があり、付近には凶器と思われるビンが散乱していた模様です。
警察は殺人事件と断定し、春岡さんを司法解剖へ回すと共に、犯人の行方を追っています」
エ?
今何と言った……?!
頭を何度も強く殴打された痕があり、付近には凶器と思われるビンが散乱……。
俺は思わず立ち上がった。
分からない。
俺の頭は混乱を極め、テレビで今伝えていたニュースを上手く理解できないでいた。
俺は一度だけ。
そう、一度だけ鉄柵に突き飛ばしただけだ。
非常階段で春岡を突き飛ばして、そして奴はそのまま後ろへ倒れた。
確かに、打った後頭部だけではなく、その後倒れたときに付いた右側頭部にもキズが出来ていた。
そして、倉庫に運んで横たえたとき、頭をゴツと置いた。
しかし、ビンなど散乱していなかった。
「春岡さんの頭部は、酷い殴打で顔が分からないほど変形しており、警察は怨恨の線で捜査に入ったと伝えています」
やはり、俺ではない。
俺じゃないんだ!!!
急に目の前の景色に色が差した気がした。
あのとき―――。
春岡はまだ生きていたのだ。
当サイトの画像・テキスト及びデータの転載を禁止します Copyright (C) TUYUKUSA-ROOM., All Rights Reserved.
Since May.31.2005