モイライの糸 3

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【現実】

 
テレビで殺人犯が「リセットすれば良い」とか「リセットボタンを押したい」とか言うけど、今の俺には気持ちが良く分かる……。
数分前に戻れるなら戻りたい。
春岡を殺してしまった……。
走ってこの場を逃げ出したい……!
しかし、足が震えてどうにも言う事を聞かない。
立っているのもやっとだ。
次の瞬間、埠頭から船の汽笛が響いた。
 

ブオー――――……!
 

その音でハッと我に返った俺は、無意識に辺りを見回した。
……誰も居ない……。
こんな奴のために、残りの人生を無駄にしたくない……ッ!!
頭の中に浮かんだその言葉を、俺は自分で否定出来なかった。
 
それから俺は、何かが憑りついたように動き出した。
しかし、自分がどうやって行動したのか、はっきりと思い出せない。
気が付くと、冷蔵倉庫の中に春岡の体を横たえていた。

 
何かの推理小説で見たことがある。
死亡時刻を遅らせるトリックに、エアコンを使っていた。
思いっきり冷やして、死体の腐敗を止めるのだ。
そう、エアコンでも良いなら、冷蔵すればもっと誤魔化せるはず……! 
 

この大きな冷蔵用の倉庫は、清涼飲料水を中心に貯蔵していた。
木で出来たパレットと呼ばれる板の上に、ダンボールや瓶ケースに入れたジュースが積み上げられている。
俺は、パレットの間の細い通路状になった人目の付かない場所に、春岡を隠すように置いた。
不思議と息は上がってないが、鼓動の音が倉庫内に響くほど強く聞こえる。
手はやはり震えていた。
しかし、俺はすぐに出なければならない。
アリバイを作らなければならないのだ。
 

あんなに慌てていたのに、俺はちゃっかり鞄を握りしめていた。
今から春岡の死亡推定時刻まで、俺はできるだけ人目のある所に行かなくては……。
そう考えた俺の頭に一つの場所が思い浮かんだ。
そう。

皮肉にもそこは、春岡が奪った契約先のショッピングモールだった。
 

 

【策略】

 

そこはすぐに到着した。
会社からほんの10分、すぐ近所に建つ大型ショッピングモールだ。
俺は、震える手足を必死で抑えていた。
モール入り口の仕掛け時計は、3時20分を指している。
 

そもそも人の死亡推定時刻って、どれだけ誤魔化せるものなんだろうか?
俺は、逃げ延びる事ができるのか?
捕まったら、一体どんな刑に処されるのだろう?
色んな疑問が次々と頭の中を駆け巡り、どれの答えも見つからない。
混乱が精神を支配していた。
 

俺は、仕掛け時計を見るとも無くその場に立ち尽くしていた。
次の瞬間目の前の時計から、音楽が流れた。
♪ポン ポロン ポロロロン ロン ロン ……
時計は3時半、ちょっとボケッとしている間に、時間は10分も進んでいた。
後ろを振り返ると、小さな子供を連れた女性が、ベンチに腰を掛けてこちらを見ていた。
その他にも、この辺りには人が沢山いる。
30分毎にアクションがあるこの仕掛け時計は、このモールの人気スポットだからだ。
 
こんなに沢山人がいたら、一人ぐらいは覚えてくれてて、証言をしてくれる目撃者になってくれるんじゃないだろうか……。
俺はそんな期待を胸に廻りを見渡した。
すると、知らない人間だけだろうと思っていたのに、入り口で井口次長を見つけた。
しめた……!
俺は、心の中でガッツポーズを取った。
不特定多数の人間が出入りする場所で、見ず知らずの人間を覚えていられるほど人の記憶は都合よく行かないはずだ。
しかし、井口さんなら絶対覚えててくれる!
俺は、出来るだけ平静を装い、彼を呼び止めた。
 

「こんにちは、井口次長!」
井口さんは、俺を見るとにこやかに笑い、手を振りながらこちらへやって来た。
「あれ、川崎くん今日も仕事?」
彼の笑顔は人をホッとさせる。
人懐こい顔つきが、そうさせるのかも知れない。
「そうなんです。ここでちょっと仕掛け時計でも見てから買い物でもして、晩飯食べて帰ろうかと思って……」
食欲など全然無いが、今から暫くこのモールに居て、沢山の目撃者を作らなくてはいけない。
俺は、普段と違う所がない様に細心の注意を払って、井口さんと話をした。
「そうかぁ、チョンガー(独身男)は大変だなぁ」
のんびりした口調が、心地良かった。
「じゃあ……」
俺は会釈をして奥へ歩き出した。
(これできっと、井口さんには俺と出会った記憶が残ったはずだ……)
そう思うと、微かな安堵感と共にため息が漏れた。
 

 

【黄色いバラ】

 
モールの一階は色々なテナントが軒を並べている。
こういった所には必ず花屋もあるものだ。
まあ、俺には縁のない場所だ。
少し小さめのヒマワリやデンファレ、菊を数種類集めた束などが刺さったバケツが、入り口近くに並んでいた。
俺が眺めながら歩いていると、後ろから駆けてきた青年に追い越された。

彼は、俺が見ていた花屋へ駆けて行く。
それは職場の後輩、高橋佳吾だった。
 

ゼエゼエ言いながら、店先で荒れた呼吸を整えて、並んだバケツを見回していた。
荷物は持っておらず、チノパンにポロシャツを着ていた彼は、普段のスーツより幾分若く見える。
高橋は俺には全く目もくれず、まっすぐ店内へ入っていった。
「声を掛けとくか……?」
俺は少し迷いつつ、花屋を覗き込んだ。
 

「ハァハァ……、すみません!」
高橋は続けた。
「あのう、黄色いバラなんですが……」
すると店員は、すぐ前のショーウインドー内を差した。
「あ、ハイ、こちらです。ブーケに致しますか?」
「そうですね、お願いします」
落ち着かなくキョロキョロと辺りを見回す高橋と、不意に目が合った。
「あっ!か、川崎先輩……!」
彼は酷くビックリしたような声を上げた。
「お、おぉう」
軽く片手を上げて挨拶をした。
我ながら、変な声を出してしまったと思うけど、高橋は別段気にした様子は無かった。
ぺこりと頭を下げた高橋をみた俺は、そそくさと足早に花屋を後にした。
これ以上ここにいても何を喋っていいのか分からないし、当初の予定「目撃者を作る」のを達成したからには、俺にはこれ以上の長居は必要ないからだ。

 

 

【アリバイの為に】

 
花屋を出た俺は、混乱した頭で必死に考えた。
逃げ延びる為に……。
何か。
何か買わなければ。
レシートを作るんだ……。
そうだ、お店の記録にも残るだろうし。
思いついた俺は、すぐ目の前にある靴下専門店に飛び込んだ。
初めて入った店だった。
普段こういった専門店で靴下を買おうと思ったことは一度も無い。
店内は大きく女性ブースと男性ブースに分かれていて、ほんの8坪ほどの狭い店舗は、日曜という事もあって混雑していた。
俺は一通り眺めてみたが、サッパリ買おうという気が起きなかった。
 

カラフルな靴下と光が溢れる店内。
 

目の前に崩れ落ちる体。
 

楽しそうに談笑する女たち。
 

冷蔵倉庫の冷気。
 

バカみたいに変な柄の靴下。
 

――――……虚ろに開いた目!
 

春岡の顔がフラッシュバックした瞬間体が硬直し、俺はいつの間にか手にしていた靴下を床に落とした。
それを目に留めた女性店員が近くへ来て拾ってくれた。
「……お客様、大丈夫ですか?」
俺は唇が震えるのを感じながら、何とか言葉を絞り出した。
「あ、ああ。ありがとう。あの、その靴下をお願いします」
言い終えると、俺は店員に出来る限りの笑顔を向けた。
「どうぞこちらへ……」
彼女は、訝しげに俺を見上げながらレジの方へ俺を誘導した。
案内されるままにレジへ向かい、てきぱきと包装される靴下を見ながら、俺は今この場所で買い物している事がまるで夢の出来事のように感じていた。
「ありがとうございましたー」
小さな包みを提げて、俺は店を後にした。
突如襲ったフラッシュバックに、脂汗が滲んだ。
「……クソッ」
俺は吐き捨てるように呟き、持ってきた鞄にその包みをねじ込んだ。
 

時計の針は、既に五時を回ろうとしていた。
あの小さな店に、どれだけ居たのだろうか…。
そして、ふと先ほど逢った井口さんへ、「晩飯を食って帰る」と言った事を思い出した。
何て余計なことを言ったんだ―――― 

 

 

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